2010年1月24日日曜日

広報的に考えると次は復帰会見:酒井法子被告の保釈劇

 Image via Sanspo
先週17日に保釈され、すぐさま謝罪会見を行った酒井法子被告。シルバーウィークのこの週末も、ワイドショー系の報道番組で長々と取り上げられていました。
今回のこの対応、ネットやテレビで見る限り「ドラマのようだ」「演技なのでは」という声が多かったように思います。
筆者は芸能取材記者ではないので、会見で見せた涙にどのような意味があるのかなどについて論じるつもりはありませんが、なぜ謝罪会見をこのタイミングで行ったのかについて整理したいと思います。
会見を行うメリットについては以前のエントリ(Twitter報道「tsudaる」はPRのサービスとして成立するか?)にまとめたことがありますが、以下の3点に集約できます。  
1. 人や物の写真が撮れる
2. 実際の空気や行間を読むことができる
3. 直接質問ができる
今回そのうちの「3」がありませんでした。理由は「公判前だから」。
広報は広告と違い、「双方向のコミュニケーション」とよく言われます。その分かりやすい例が会見での質疑応答であり、インタビューです。それは当事者の筋書き通りには進まず、常に未知なる質問への恐怖に対峙しなければなりません。
要するに今回の会見は筋書き通りに進めた、双方向性のないドラマのような完結したものでした。多くの人はそこに一種の物足りなさを感じたのだと思います。
通常の釈放の際には直後に会見など行わない「謝罪会見」を今回なぜ行ったのか。もちろん同情を得るためなどではありません。
一般企業でも事故を起こし、謝罪会見を行わなければならないときがあります。その目的のひとつはもちろん社会に対する謝罪でもありますが、クライシスコミュニケーションを早期に終息させることを一方で目的にしています(早期に謝罪会見や謝罪表明を行わなかった失敗事例として、シンドラー社のエレベータ事件や、毎日新聞のWai Wai問題などがあります)。それはこの国の国民性として「謝罪」によるケジメを求める傾向が強いからです。
「まず謝る」これがこの国で広報を行う上でもっとも大事な事なのです。
謝罪会見を行った、という既成事実が重要で、謝罪を伴わない通常の広報でも一度会見を行い質疑応答を行うことで、「一度会見でご説明したので(勘弁してください)」というような逃げ道を用意することができます。
今回の謝罪会見では質疑応答が行われませんでした。不十分ではありますが、一旦はこれで大騒ぎは終息と言うことだと思います。
でも不十分なまま完結はできません。そう考えると、おそらく公判後に行うのは「復帰会見」という筋書きを当事者たちが描いているのでは?という予想が立ちます。その時の会見でのネガティブな質問には、今後の活動への意気込みのような「ポジティブ」なメッセージに転換することが可能です。それであれば今回の一連の流れは筆者にとって妙に納得のいくものとなります」。
追記:ただし一般的な国民の心情を考慮するなら、やはりまず謝罪会見を改めて行い、その上で復帰会見とするほうが誠実さが伝わり悪い印象を与えないですむとは思います。

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